第2話/全3話 魂を置いてきた街、実家で抜け殻になった日々
帰国という現実
2020年、私は2回目のバンコク生活を終え、帰国することになりました。
パンデミックが始まり、新たなBビザやワークパーミットの発行が止まりました。
スポーツ複合施設の仕事を辞めた後、バンコクで再就職するという選択肢は現実的ではありませんでした。
選ぶことができず、抗うこともできませんでした。
だからこそ、納得などできるはずがありませんでした。
ただただ、悔しかったです。
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抜け殻としての生活
実家に戻ってからの生活は、静かでした。
農家である我が家では、朝は比較的早く起きてご飯を食べ、草取りに行き、風呂場を掃除し、本を読む——
家族以外の誰かに必要とされるわけでもなく、誰かに期待されることもなく、「今日、やらなければならないこと」がない毎日でした。寒さが苦手な私にとって、日本の冬はなおさらこたえました。
そして、ふと今津さんの鋭い眼差しと言葉が脳裏をよぎります。
「おまえ、何がしたいねん?」
あの時も答えられなかった問いが、形を変えてまた胸に重くのしかかりました。

畑仕事が少しずつ心を癒してくれた
しんどさの正体
やりたいことがないこと。
何も目指せないこと。
それがとても苦しかった。
「これからどうするの?」と聞かれるたびに、胸が痛む自分がいました。
本当は、バンコクに戻りたかったのです。でも、その理由さえ、自分で納得できていませんでした。
「好きな場所に、好きなだけいればいい」
そう思うことができたら、どんなに良かったでしょう。
当時の私は、「自分が向いてることは何なのか」「強みは何、弱みは何」「何に興味があって、どうなことをしていると幸せなのか」そんな“自己分析”の呪いに、がんじがらめになっていました。
そして、情報が多すぎて、選択肢が多すぎるようで「これだ」と思えるものがなくて、何も見えなくなりました。
今思えば、そんな呪縛から一度離れて、心が本当に求めているものに耳を澄ませるための、必要な時間だったのかもしれません。
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魂の居場所
帰国してしばらく経った頃、変な感覚を覚えた出来事がありました。
バンコクで一緒に野球をしていた友人が、日本に帰国するというFacebookの投稿を目にした時です。
胸がぎゅっと締めつけられるような寂しさを感じました。
いや、おかしくね?日本に来るんだから会えるじゃん。何これ?
それは、自分がいかにバンコクという場所に想いを抱いていたかの証でした。
会える・会えないという話ではなくて、バンコクという街の空気や時間、コミュニティの中に、自分の“居場所”があったのだと、改めて気づかされました。
「このまま終わりたくない」
「いつかまた、バンコクに戻りたい」
はっきりとした理由も、根拠もありませんでしたが、小さな火のように、その思いは心の奥でずっとくすぶっていました。あの空白のような時間にも、確かに“生きている実感”が、少しずつ戻ってきていました。

わからない日々も
わからなくても、進めなくても、何かを失ったその先にも、ちゃんと“生きている時間”と、“小さな火種”がきっとあります。
だから、大丈夫です。もしあなたが今、止まっていたとしても。
それも、ちゃんと人生の一部です。