誰かに優しく触れられるように、 自分の輪郭を思い出すように、 そんなふうに、写真は心に届くときがある。
母子撮影のたびに思うのは、 ママたちが写っているのは“姿”だけじゃない、ということ。
そこにあるのは、 頑張ってきた日々の余白、 誰にも言えなかった気持ちの光と影、 そして、自分でも気づいていなかった「ちゃんと愛していた」という証。
撮影のあとにいただいた感想に、私自身もはっとしました。 レンズ越しに見えていたのは、ママたちの笑顔だけじゃなく、 その背後にある、毎日を必死に過ごしてきた時間や、 言葉にならない想いの重なりだったんだと。
だからこれは、ただ写真を残すという体験ではなくて、 “ママ”という役割の奥にある、“わたし”の気持ちにふっと気づける時間なのかもしれないと思いました。
撮られて初めて、自分の表情に気づいた
「写真の中の私は、思ったより楽しそうで安心した。」
これは、あるママの感想です。
普段、自分がどんな顔で子どもを見ているかなんて、きっと気にする余裕もない毎日。 でもレンズの中には、笑っているママ、子どもと向き合っているママ、そして“ちゃんと楽しんでいるママ”が写っていました。
それを見て、安心して、涙が出そうになったと言ってくれたママもいます。

自分の子育てに、“いいね”が言えた
「子育てってこれでいいのかな」と迷ったり、 「私ばっかり我慢してる」と感じたり、
そんな気持ちになること、ありませんか?
今回の撮影では、そんな“ぐちゃぐちゃの感情”も、ぜんぶ肯定してくれるような時間になったという声が届きました。
「自分の子育てに“いいね”って言ってあげたくなった」
写真を通して、そんなふうに“自分の子育て”を認めてあげられる瞬間に立ち会えたこと。それが、私にとっても深く残る時間になりました。

“いつもの場所”が、いちばん大切な場所になる日
母子撮影の多くは、特別なスタジオではなく、
・よく行くカフェ ・公園の木の下 ・コンドのエントランスや遊び場 ・家から駅までの道
そんな、何気ない場所で行われています。
でも、撮影を終えたママたちは口をそろえて言います。
「何度も通った道なのに、撮影をしてからはとても特別な場所に感じられるようになりました。」
写真は、過ぎていく毎日に“輪郭”を与えてくれます。 そしてその輪郭は、未来に「たしかに私たちはここにいた」と伝える証にもなり、バンコクという場所との絆を強めます。

この撮影は、写真を撮るための時間じゃない。
母子撮影は、ただ写真を撮るだけのイベントではありません。
・自分が主語になっていいと気づける時間
・「私はちゃんとやってきた」と思える時間
・“母親である私”を、静かに肯定できる時間
言いかえれば、
📷 これは“今の私”を、自分自身にプレゼントする時間です。
だからこそ、
撮影は、子どものためじゃなく“私のため”でよかった。
と、何人ものママが言ってくれたのだと思います。

最後に
子育て中は、自分のことを置き去りにしてしまう時間の連続です。
でも、ママが笑っている写真は、 子どもにとって一生のお守りになるかもしれません。
そして、そんな写真を見返すことで、 「私はこの日々をちゃんと生きていた」と自分自身が思えることこそ、 いちばんのごほうびになるんじゃないかなと思うのです。
もし心がふっと動いたら、 ぜひ一度、“今のふたり”を残すという体験を選んでみてください。あなたの“今”が、未来の宝物になりますように。